【うつ病改善】セロトニン不足が原因かも?

【うつ病体験談1】ストレスアナライザーでストレスチェックした結果うつ病と診断されました

過去にうつ病を患ったことがある女性に、お話をうかがいました。職場での人間関係が原因でうつ病を発症したとのことですが、結婚して環境を大きく変えたことで、症状が改善していったそうです。

 

ストレスアナライザーという機械でストレス診断した話など、参考になる部分も多いと思います。もしよろしければ一通り読んでみてください。


 

1.職場の経営者の奥様が更年期障害をきっかけに変わってしまいました

 

私がうつ病と診断されたのは、今から7年前のことです。当時、私はあるご夫婦が経営する個人会社の主任として勤務していました。給料は決して高い方ではなくサービス残業も多かったのですが、仕事にはやりがいを感じており充実した毎日を送っていました。そんな毎日が変わっていったのは、ご夫婦の奥さまの方が更年期障がいを発症してからでした。

 

ホットフラッシュやのぼせなどの影響から、現場での仕事からしばらく離れることになり、主任である私が取り仕切ることになりました。最初の頃は、信頼して頂けていることが嬉しく、仕事量が増えても何とか頑張っていけました。しかし、奥さまの方の気持ちとしては現場に残って夫婦メインで仕事を続けたかったという気持ちがあったようです。

 

しばらくすると、休んでいたはずの奥さまがフラフラな状態で現場に現れては嘔吐して帰っていく。怒りながら来たかと思えば、仕事とは関係のないことを怒鳴り散らして帰っていく。自分が現場に居ないことを良いことに、みんなが散々文句を言っている(実際には誰も文句を言わず、心配する声ばかりでしたが)と泣き出したりと、精神状態がかなり不安定な毎日でした。

 

2.奥様の感情が私に向かって爆発するようになりました

 

旦那さまの方は毎日外出していることが多く、なかなか話をする機会が持てなかったので、奥さまの状態を知っているのか、家庭でもそうなのかはわからずじまいでした。奥さまの方も、旦那さまの前では大人しく、居なくなったら感情が爆発するような感じでした。

 

そのうち、現場の雰囲気もだんだんと悪くなり、「また来た」「面倒くさい」「関わりたくない」と他の社員は奥さまを避けたり、話を逸したりするようになり、奥さまの話し相手はいつしか主任である私に絞られました。

 

3.奥様のことを誰にも相談することができませんでした

 

奥さまの症状は日に日にひどくなり、泣いたり喚いたり罵声を浴びせる毎日が続き、私が「奥さまの居場所と旦那さまを狙っていて、仕事も家庭も奪うつもり」と思い込んでいたり、「奥さまの悪口を社員に吹き込んで、全員で無視するように命令している」とご自身のお子さんたちに泣きついたりすることもあったそうです。

 

 

そのうち奥さまだけでなく、お子さんたちや親戚の方までも私のところへ話をするために来るようになっていましたが、どうやら精神的な不安定さは私の前でだけさらけ出し、家庭や親戚づきあいでは「相変わらず人の良い奥さま」のままを保っているようでした。私も、そんなイメージを覆すほどの証拠もなかったので、奥さまのことは黙っていました。

 

4.自分の体調も日に日におかしくなってきました

 

それからと言うもの、自分がおかしいのか、奥さまが態度を使い分けているのか、奥さまの人格自体が変わってしまったのか、本当のところがわからなくなってしまいました。

 

日に日に仕事に行くのが億劫になり、食事も喉を通らなくなり、眠れない日々が続きました。しかし、奥さまが仕事に出られない今、私も休むわけにいきません。1日1時間の睡眠、1日1食の食事の生活が半年ほど続きました。

 

ある日、午前6時を回った頃、「あと2時間後には仕事だ」と思いながらウトウトしかけた時です。急に右足が痙攣し始めました。ビックリして目が覚めましたが、痙攣はしばらく続きました。ようやく治まって、「何だったんだろう」と思いながら布団に入ると、今度は激しい咳き込みが続き、嘔吐してしまいました。

 

その時は、体調崩しちゃったかなと軽い気持ちで考えていましたが、その後、眠る前の両手・両足の痙攣、嘔吐するまでの激しい咳き込み、耳鳴りや幻聴が頻繁に起こるようになっていきました。

 

さすがに「何かがおかしいな」と思った私は、奥さまに了承を得て1日休みを頂いて、病院に行ってみることにしました。その時も「心配して欲しがって仮病使っている」「遊ぶためのズル休みでしょ」などと言われましたが、もうそれらの言葉にも何も感じないほどに感情というものが欠けているようでした。

 

5.病院で診察を受けた結果、うつ病と診断されました

 

病院へ行くと、先ず最初にストレスアナライザーという機械でストレス診断をしました。こめかみと両手・両足に微弱電流を流し、身体の機能状態を調べるというものでした。0%に近いほど、身体の機能が低下しており、100%に近いほど興奮状態にある。60%前後が健康的な人の状態に近いそうです。

 

 

私の結果は、胃腸系のみ正常で、それ以外は1〜3%と低いものでした。結果を見て医者は、頭や肩に強い痛みはありませんか?と尋ねましたが、その頃の私は痛みなどの症状はなく、「常に頭がボーッとしていて、硬い殻に心も身体も覆われていて何も感じない状態」という表現に近いものでした。

 

その時に診断されたのは「不眠症」「ストレス性神経症」、そして「うつ病」でした。

 

病院へはそれからも通うことになりました。診療時間はだいたい30分程度。そのほとんどは、どんなことがあって、どんな風に感じたかを聞かれて話すというものです。その話の内容を助手の方がひたすらパソコンに打ち込んで記録していました。

 

医者は、私を肯定してくれる言葉がけをしてくれたり、うつ病は焦って治そうとせず上手に付き合っていくものという説明をし、睡眠薬と抗不安剤を処方してくれました。

 

6.処方されたお薬を飲みながらなんとか仕事を続けました

 

職場では私がうつ病を患っていることは口にしませんでした。少しでも具合が悪い様子を見せると、奥さまが黙っていないからです。睡眠薬はとてもよく効きましたが、「必ず布団に入ってから飲んで下さい」と注意されたように、効き目が早く、眠くなるというよりも突然意識がなくなるような感じでした。目覚めも悪く、頭痛がひどかったので続けることができませんでした。

 

抗不安剤は毎日飲み続けました。家では薬を飲んでも、座っている姿勢を保てないほど脱力してしまい、食べられない・眠れない状態は続いていましたが、仕事の時間になると不思議と立って歩くことが出来ました。

 

しかし、薬に依存していたのでしょうか。決められた量以上に飲んでしまうことが多くなり、だんだんと健忘症の症状も出てくるようになっていきました。(カフェに行って注文後に席に着くと、注文したことを忘れて再び注文しに行く。その後、運ばれてきたものを見ても、自分が注文したものなのか覚えていない等)

 

7.結婚を機に退職することとなりました

 

そんな頃、私には遠距離恋愛で交際している方がいました。付き合って5年目でしたし、私の体調も快方に向かっているのか悪化しているのかもわからない状態を心配してくれていた様子で、結婚して一緒に暮らさないかという提案をしてくれました。

 

私も、仕事は大好きだったのですが、奥さまの状態もいつまで続くのかわからなかったことと、自分自身の限界も感じていたので、自分の人生の中で最良のタイミングとは言えませんでしたが、彼の提案に従うことに決めました。

 

奥さまには、私の病気の話は出来ませんでしたが、結婚を機に年度末に退職したい旨を伝えました。すると、意外にも大喜びで受け入れてくれました。もうその日が待ち遠しくてたまらない様子でした。

 

今思えば、奥さまの「自分の居場所や地位が奪われる」と思い込ませていた不安が消えていく瞬間だったのかもしれません。

 

 

私も、「年度末まで」という期限ができたことで、気分が上向きとまではいかずとも、徐々に少し先のことに目を向けることができるようになっていきました。そして、退職の日は普段の1日と変わらずに過ごし職場を後にしました。

 

8.奥様のいない環境で少しずつ落ち着きを取り戻しました

 

それから数日後には引越して、彼と一緒に暮らし始めました。初めての土地でわからないことばかりでしたが、知り合いに合うこともなく、ましてや奥さまの目の届かないところにいるということを実感するにつれ、徐々に気持ちがほぐれていくような感じでした。

 

彼も積極的に話を聞きたがることもなかったのですが、私が話し始めると最後までじっくりと話しを聞いてくれました。同じ話を何度もしたり、話の途中で私が興奮して動悸や目眩がすると落ち着かせてくれたりしました。

 

私の具合が悪く、寝込んでいる日が続いても、彼は彼のペースで生活を続けていてくれたのがありがたかったです。「干渉しない、でも同じ空間にいて相手の存在をただ感じる」というのは、私にとっての安心感に繋がりました。

 

9.症状の改善とともに嫌な記憶がフラッシュバックするようになりました

 

同居生活が半年を過ぎる頃には、睡眠時間も4時間ほど取れるようになっていき、目が覚めるたびに「ここでは私を知っている人に出会わない」と感じることで、人生をリセットできるような新しい感覚が芽生えました。

 

しかし、この少しずつ気持ちが上向きになっているときが一番危ないと医者からも注意されました。自分の判断で薬の量を減らしたり、飲まなかったりすると副作用が強く出るそうです。自殺者が一番多い時期とも言われるようです。

 

実際に、一番辛いと感じていた時には「死にたい」という感情すら持てず、ただただ目の前のものを見ている。ジッと座って身体の平衡感覚を保つ、くらいのことしかできない状態でしたが、少しずつ睡眠が取れて脳が休まると、「もう薬がなくても大丈夫じゃないか」という考えと、嫌な記憶のフラッシュバックとで思い出す絶望感が交互にやってきました。

 

それでも彼が居てくれたことと、知り合いに合うことのない日常は誰の目も気にせず、ゆっくりと自分自身を取り戻していくには私にとって最適な環境でした。

 

10.あれから数年たち、うつ病はすっかり改善しました

 

その後、1年ほどで薬もいらないほどに回復し、パートとして仕事に就くこともできました。その彼と結婚し、子どもを授かった時には、担当の助産師さんが「お薬手帳」の記録から産後うつになることも考慮して近くの心療内科も探してくれました。

 

 

あれから数年が経ちますが、産後うつに罹ることも、うつ病が再発することもなく家族みんな元気に暮らせています。今でも過去の嫌な記憶を思い出してしまうこともありますが、またすぐに忘れて今の生活を楽しめる程度の記憶になりました。

 

11.うつ病にならないために気をつけてほしいこと

 

うつ病はとてもやっかいな病気です。そして、かなり辛いです。人によって症状も違いますし、見た目では理解されにくいものです。理解して欲しい・助けて欲しいとSOS発信できる心の余裕も無ければ、聞かれたからと説明するほどの気力もありません。治る方もいれば、長年苦しんでいる方もいます。

 

だからこそ、うつ病に罹る前に状況を変えるべきです。辛い気持ちを吐き出せる場所を、自分のストレスを発散できる方法を見つけておくことはとても大切です。そして、可能であれば、私のように生活環境を変えてみることをオススメします。

 

周りの目に縛られず、自由に歩けるという環境は、空の青さに気づき、風の心地よさに触れ、生きているということを思い出させてくれます。失いかけた人間らしさ、五感をゆっくりと取り戻せるきっかけになると思います。焦らず、じっくり、ゆっくり。

 

12.うつ病患者の回りにいる人たちに気をつけてほしいこと

 

周りの方には過干渉にならないように、でも話したい時には傍で聞いていて欲しい。解決を求めているのではなく、助言を求めているわけでもなく、ただ辛かったこと、嫌な気持ちになったこと、その時に言えなかった思いを聞いて欲しいのです。

 

何度も同じ話しをしてしまうかもしれません。でもそれほど何度も繰り返し、フラッシュバックで当時の状況が蘇ってくるのです。話の最後に何も言わなくても良い、ただ傍に居て自分の思いを頷いて聞いてくれるだけでありがたいのです。「辛かったね」って。「悔しかったね」って。それだけで救われる思いがあることをわかって欲しいと思います。