私のうつ病体験談

 

 

ご覧いただきありがとうございます。ナビゲーターのミホです。このページでは、当サイト管理人のうつ病体験談をご紹介いたします。もし興味がありましたら読んでみてください。



 

 

私は昔から、引っ込み思案で慎重、のんびり屋な性格でした。みんなとワイワイと遊ぶよりは、1人でいるのが好きなタイプでした。話し下手で不器用、積極性もなく運動も勉強もできない目立たない子供でした。一方で、運動や勉強ができてとても明るい、気軽に友達と遊べるクラスメートもたくさんいます。彼らを見ては、とても羨ましいと思うと同時に強い劣等感を持っていました。

 

家族は、父と母と妹の4人家族です。家が貧乏で、欲しいものをねだっても、「買えないから我慢してね」と言われる環境に育ち、我慢と同時に感情や行動を抑圧することを覚えました。自分自身を「抑圧」することが当たり前になっていた私は、もしかするとこの頃からすでに、うつ病になる要因をすでに持っていたのかもしれません。

 

1.コンピューターの勉強をしてIT企業に就職

 

今から30年以上も前になりますが、私が小学1、2年生くらいの頃に、父が仕事の関係でパソコンを購入しました。当時はまだ、パソコンがある家庭は少ない時代です。パソコンに興味津々の私は、父親に操作を教わりながら、ゲームをやったりしていろいろいじっていました。

 

この経験がキッカケでパソコンに興味を持った私は、パソコンで仕事ができたらいいなと思うようになりました。そこで、高校卒業後はシステムエンジニア科のある専門学校に進学し、本格的にコンピューターの勉強をしました。そして、1990年代後半の就職氷河期の中、念願のIT企業に何とか就職できました。憧れの職業につくことができ、夢と希望にあふれていた時期でした。

 

2.引っ込み思案な性格が災いして職場で失敗の連続

 

しかし、私の根っからの引っ込み思案な性格が災いして、職場ですぐに問題児扱いされてしまいました。仕事でわからないことや困ったことがあっても、相談できない。話し下手なので連絡や報告もできない。言われたこともできず、締め切りや約束も守れない。もう挙げたらキリがないです。

 

「もっとしっかりやらないとダメだぞ!!」

 

上司だけでなく親からもこのようなことを言われ、自分のあまりの不甲斐なさに何度も会社を辞めようとしました。しかし、親に心配かけたくない思いと、バブル崩壊後で再就職は無理だろうという考えから、実際に会社を辞める決断まではできませんでした。

 

入社して2年後、元外資系で勤務していた方が新社長に就任してから、社内の雰囲気が一気に変わりました。ご存知のように、完全成果主義の外資系では、数字やノルマが評価の第一基準となります。その流れをくむ新社長も、数字やノルマにとても厳しい人でした。

 

折り合いの悪い人はどんどん辞めさせられ、うつ病で退職する人も続出しました。私自身も「いつか私も辞めさせられるのでは?」という思いが常にあり、ビクビクしながら仕事をしていました。その後、新社長との間にいざこざがあり、私の上司と数人の仲間で退職。新たにソフトウェア開発の会社を設立しました。

 

3.「自由」・・・という名の重い責任

 

新しい会社では、前職の上司に当たる社長を筆頭に、私がソフトウェアの販売サポートとリーダーを任されました。嫌で嫌でしかたなかった前の会社から離れることができ、当時の私は「これで自分が思った仕事ができる!」「気の合う仲間と自由に仕事ができる!」とウキウキしていました。

 

しかし、現実は厳しいものでした。設立したての新しい会社のため、認知度はありませんし、売上もサッパリでした。私自身、リーダーという立場でありながら、行動力や判断力もなく、しかも人一倍責任を感じやすいため、とても負い目を感じていました。

 

「みんなは頑張っているのに、自分は何もできない・・・」

 

しだいに社長との折り合いも悪くなり、周りからも孤立するようになりました。小さい狭い部屋で孤立するのは、これほど辛いものはありませんでした。

 

4.「うつ病」の最初の兆候

 

仕事に行き詰まり、職場での人間関係にも悩みを抱え、いつしか自分では処理できないほどに精神的に追い込まれていきました。そしてある日の朝、布団の中で思ったんです。

 

「会社に行きたくない、今日はもう少し寝ていようかな・・・」

 

今思うと、これがうつ病の最初の発端でした。それでも最初のうちは、目覚ましをかけた時間から5分、10分くらいで、なんとかがんばって起きていたんです。しかし、それが20分後、30分後と、しだいに起きる時間がずれていきました。

 

 

それまでの私は会社で遅刻した経験がほとんどなく、いつも時間に余裕を持って通勤していました。それが始業開始ギリギリになり、しまいには遅れて行くようにもなりました。

 

「最近、遅いけど大丈夫?」

 

親からも、そして会社のメンバーからもこのように言われました。心配してもらえるのは嬉しい一方、「これではダメだ、もっとしっかりしないといけない」という思いもありました。そのため、本当は家にいたいけど、心配かけたくない思いから、平静を装って家を飛び出していました。

 

5.「そっちじゃない!こっちだぞ!」

 

会社までは車で20分ほど。その日も、がんばって家を飛び出し、重い気分のまま会社に向かっていました。しかし、ある交差点を真っ直ぐ行けば会社にたどり着くというところまで来たとき、見えない壁があるかのように、左折、右折と会社から離れるように、車を走らせるようになったのです。

 

そして行き着いた先は、河川敷にある公園の駐車場。いや、それ以外にもいろいろ行きましたが、よく覚えていません。そこで、シートを倒しボーッとしてただ時間が過ぎるのを待っていました。

 

毎日続く、日曜日の夜の憂うつな気分、月曜日の朝の起きたくない気分・・・。そのうち夜も眠れなくなり、寝不足のため日中はとても眠い・・・。そして体も言うことを聞かなくなり、ついには休むことも多くなりました。

 

6.「うつ病」と診断されて抗うつ薬による治療開始

 

会社のメンバーも私の異変に気づき、病院に行くようにすすめられました。正直、自分はストレスで夜の眠りが浅いだけ、もう少し休めば大丈夫だ、と思っていました。また、精神科や心療内科は怖いイメージがあり、最初はかなり躊躇(ちゅうちょ)した覚えがあります。

 

でも、それでも勇気を出し、病院に行って事情を説明し、診療してもらいました。結果は、「うつ病」と診断され、ついに私もなってしまったのか、というショックはありました。そして、抗うつ薬のパキシルと睡眠薬のレンドルミンを処方されることとなりました。

 

すぐに会社にも事情を説明しました。会社の業績も悪いこともあり、これ以上迷惑をかけてはいけない、という思いから2007年6月末に退職となりました。

 

7.「この先自分はどうなるの? もう就職は無理かも・・・」

 

職を失い、将来に不安を抱えながらも、医師の指示に従い「自宅療養」することになりました。抗うつ薬のパキシルの効き目はよくわからないものの、睡眠薬のレンドルミンのおかげで、夜はぐっすり眠れるようになりました。日中も眠いことも多く、やる気も出ないため、とにかく布団でゴロゴロする生活が続きました。そんなダメな自分を責めては嫌になることもありました。

 

 

でも、嫌な思いをしなくていい、責任を取らなくてもいい、という安堵感もあったのも事実です。そして、収入や仕事よりも体が大切、と自宅療養して落ち着いたことにより、気持ちの面で何かリセットされたのも覚えています。その後徐々に体力も気力も回復し、気分がいいときには、近所の周りを10分から20分程度自転車で乗り回すようになりました。

 

8.波は引いたらやって来るもの

 

体調や気分の状態も、そのときによって、いいこともあれば悪いことも波のようにやってきます。1年以上収入がないことの不安感、休んでいることの罪悪感、親に迷惑をかけていることの申し訳なさが何度も引いてはやって来ました。

 

そんなときには嫌になって布団で横になって波を引くのを待っていました。そのときから早く復帰しないといけないと、という気持ちもありました。でも、正直なところ就職すること、会社で働くことに対してのトラウマもあり、どうしていいかわからず焦っていました。

 

うつ病になって、仕事や収入を失い、ある意味すべてがリセットされた、そんな気分になりました。自宅療養して時間を持て余しているとき、自分は一体どんな性格なのか見直したときがありました。

 

9.自宅療養が自分自身を見直すいいきっかになりました!

 

周りから急かされるのが苦手で協調性がない、のんびり屋でひとつのことをコツコツやるタイプ、みんなとワイワイやるより1人でじっくり考えるのが好き、などなど・・・会社勤めには向かないタイプなんだな、と改めて思ったわけです。

 

そんなとき本屋で手にとった、「文章の書き方」についての本が私の人生を変えるキッカケを作ってくれました。これで文章を書くスキルをつけたら、誰にもジャマされず自分のペースで仕事ができる、パソコンがあればどこでもできる! そう思ったとき、パッと目の前が明るくなったような気がしました。

 

10.自分が自分らしく働ける仕事を見つけました!

 

その後紆余曲折ありながらも、現在はフリーのライターとして仕事をしています。会社勤めと比べたら、身分の保証も全くなく収入も少ないのが現状です。しかし、人間関係を気にせず好きなことで仕事ができる、これが私にとってとても合っています。今ではうつ病もすっかり完治して、大変ながらも気負いせずマイペースでのんびりとやっています。

 

11.家族への感謝と考え方の違い

 

私がここまで来られたのも、家族の協力があったからです。親も苦労していたにも関わらず、食事の用意をしてくれるなど、生活全般で面倒を見てもらいました。会社を辞めるときに勇気を出して言ったときも、「わかったよ、無理しなくていいからゆっくり休みな」と言われ、それで安心して退職して休息を取ることができました。他にも、「最近食欲が増えてきたね」とか「顔色もよくなって元気になってきたね」といって気にかけてもらえたことが、とても嬉しかったです。

 

 

12.否定せずに一度受け入れてください

 

うつ病を患っている人は「否定されること」を極度に恐れています。例えば、会社を辞めるなどと言った場合、本人にとっては、かなり勇気のいることです。聞かされた方も少なからずショックを受けるかもしれません。そこで否定すると、行き場もなくなり、自殺などの行為に走ってしまうこともあります。そこで、まずは否定しないで一度受け入れて、その先どうするかは落ち着いた後に対応を考えて欲しいです。

 

また、家族は心配と同時に期待というのも持っていると思います。私がうつ病で休息を取り始めてから2ヶ月後くらいに、「そろそろ仕事や就職はどうするの?」と言われたときには、かなり嫌な気分になりました。親の気持ちとしてはとてもわかるけど、こっちは心の傷が癒えてないのに・・・というのがあったわけです。

 

13.本人も家族も、あせらずに治療することが大切です!

 

うつ病が少しでもよくなると、家族はそういう期待をしがちだと思いますが、実は本人はまだまだ動けない場合がほとんどです。一時的によくなっただけ、またはそう見えるだけで、しばらくするとぶり返すのがうつ病の特徴です。特に期待を込めた発言や生活や仕事のこと、将来のことについては、話さないようにして欲しいと思います。

 

うつ病を治すのは本人自身。花の種を植えたら芽が出て花が咲くまで待つように、過度な期待をせず、先生の指示のもと、焦らず治療しながら徐々に社会復帰するのがうつ病を治す近道だと思います。

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